大学入学時より、独立起業を目指し、アルバイトで貯めた資金を元に電動タイプライターを購入、19歳で個人貿易を始める。アルバイト資金を回しながら、徐々に取扱品目のグレードを上げ、大学3年の時に輸入販売の会社、有限会社ウエダ・トレーディングを設立。装飾品の現地買い付け、直接販売を行うビジネスを展開する。
1988年、25歳の時に東京六本木にてレストランバーを開業。続く1989年に同じく六本木にて2店舗目をオープン。一時は年商1億5000万円を超え、TV番組にも出演。
しかし、バブル崩壊とともに状況は一変、人生の流れが変わり始める。信じていた知人には株取引の詐欺で大金を持ち逃げされ、最後には店舗内でマスコミ沙汰になる大事件までもが発生。調子づいた未熟者を戒めるかのように悪い時には悪いことが重なり、店舗経営から全面的に撤退することになる。この時期、何もかも上手くいかない状況の答えを見つけるように、心理学研究に傾倒する。公立図書館に閉じこもって専門書を読み漁り、精神科医などが出席する研修などにも参加していた。
その後、紆余曲折しながらも、一からの再スタートとして某住宅関連企業の立ち上げ時期に入社することになる。住宅業界を選んだ理由は、飲食店経営の時に当時絶好調だった大手ゼネコンの常連さんから酔っぱらった時に言われた一言だった。「おまえは俺達のような基幹産業の世界では通じないよ」という言葉が心のどこかに引っかかっていた。
しかし、33歳で飛び込んだものの、住宅業界の知識も経験も全くのゼロ。ついでに会社側の集客・営業への投資もほとんどゼロ。有名企業や業界のトップセールスマン達が入社しても、一件も契約できないままに次々と辞めていく状況であった。この状況に対し、あえてフルコミッション営業を宣言し、独自で営業ツール・営業ステップを開発、単独で全国の住宅業者に飛び込み営業を行うことになる。 結果、当該企業が株式公開に至るまでの5年の間、新規開拓による契約数、及び営業利益の2/3を一人で売り上げるという実績を残す。
その後、その実績によりヘッドハンターを通して大手商社等からの引き抜きがあったものの、住宅業界の現場知識・実務経験に欠ける自分に満足できず、年間100棟クラスの地域デベロッパーに入社。入社から一年後、実績を認められグループ企業の専務取締役に就任。以後2年間、計3年間で不動産取引、用地仕入れ、宅地造成、販売企画、建築商品開発等の戸建て住宅に関する全ての実務を経験することになる。
2004年、今までの蓄積した住宅業界のノウハウをもとに、飲食店時代に設立した法人を復活させ、住宅業者向けのコンサルティング会社として再度独立。工務店向けの不動産ノウハウの提供や、住宅商品開発、独自のビジュアルマーケティング手法による集客チラシの企画製作、Web構築、企業研修などを展開し、現在に至る。